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Piacevole Studios / 音楽舎 Piacevole

About Us
ニューヨークでの約5年間の音楽留学を終え、
帰国後はYAMAHA音楽教室の運営側、音楽教室のピアノ講師、サロン演奏などと、
音楽に関わる経験を積み、
2016年に個人のピアノ教室Piacevole Studioを開業しました。
その中で多くのお子さまと親御さんに関わらせていただき、
たくさんの温かなご支持をいただきました。
その貴重な経験を糧に、音楽の可能性と発展を信じ、
夢を広げ、
地域社会への貢献と責任の決意として、
2025年1月22日をもって「Piacevole株式会社」として
再出発いたしました。
Experiences

フルーティスト 加藤早紀氏と共演
名古屋市 有志オーケストラ

声楽家 山口奈津子氏と共演
バイオリニスト 白石優香氏と共演


シティホテル 20周年ディナーショー



ピアノソロリサイタル




第6回 Piacevole Studioピアノ教室発表会


幼稚園卒園式演奏


野外リトミックコンサート
その他多数
Life Trajectory
音楽との出会い
自宅でピアノ教室をしている母の元、母の仕事中はピアノのそばで遊んだり、グランドピアノの下で勝手に寝てしまっていたりと、常にピアノと共に過ごしていました。4歳の誕生日を目の前に、何か習い事を始めようと、母から「バレエかピアノ、どっちがいい?」と聞かれ、バレエのようなヒラヒラしたドレスやタイツは履きたくない!という気持ちがあり、子どもながらに消去法でピアノを選んだ覚えがあります。
幼少期のピアノ
ピアノ講師である母でしたが、他の先生に自宅に来てレッスンをしてもらっていました。親が教えるとなると、親としての気持ちなど様々な感情が入り混じってしまうことも踏まえての、母の配慮とメリハリの選択だったようです。
その後1年が経った頃に、母が学生時代にお世話になっていた音楽大学の教授(故・国谷節子氏)に見ていただくことになり、毎週往復2時間かけてレッスンに足を運んでいました。ただ、レッスン以外の日々の取り組みは母がつきっきりで、母も、自身の恩師に娘を見てもらうことへのプレッシャーや、少なからずプライドもあったのではないかと思いますが、日々の練習の方がもはやレッスンさながら本番で、レッスン日が逆に息抜きのような感覚だったように思い出します(笑)そんな母のガチガチピアノモード発動のおかげもあり、教授が伝えたいポイントも仕上がりまくり。レッスンでは2、3曲弾くと「はい、よく出来ていますね、丸。次は暗譜しましょうね。」と一瞬で花丸をもらえ(多分そこまでで15分くらい)、残りの45分は母と教授の留まることのない会話を小一時間待つという、思わぬ忍耐力が身に付き、今思うとツッコミどころの多いルーティンでした。
ピアノとの向き合い方
小学校低学年の間にハノン、ツェルニー、ブルグミュラー、ソナチネ、ソナタ…と勢いよくこなし、自身でもピアノが弾けることに自信とアイデンティティーを確立しましたが、コンクールに精通する取り組みはあまりありませんでした。と言うのも、教授は「コンクールを目指すと、コンクールのための弾き方となってしまう」という考えを持っており、それぞれの表現や個性を尊重して楽しめる音楽を大切としてくださる考えには、今も共感しています。そして小中学校では幾度となく合唱の伴奏を務めて楽しんでいました。ただ贅沢ではありますが、ピアノがある環境に特別な意識はなく、ピアノで将来を考える事はなく、長年将来の夢は幼稚園の先生を描いていました。
音楽の道を進む決意
17,8の頃だったと思います。母のピアノ教室の発表会に出ることがありました。当時、ピアノに精通していて、母のことをあまりよく思わない方が地域にいまして、その方が母の発表会に足を運んでおられました。私はその発表会でベートーヴェンの月光ソナタを演奏したのですが、その方が私の演奏に対して良い評価をくださり、母への見る目が変わった、といった話を聞き、音楽で人の気持ちや考えを変えることが出来ることを体験し、音楽の魅力をより一層感じました。と同時に、進路を考えるにあたって、これまでを振り返ると常にピアノと共に歩んできたことから、今一度しっかり音楽を学びたいと思うようになり、音楽の勉強のために海外へ行くことを決意しました。
ニューヨーク時代
渡米後にまずぶち当たったのは言語の壁でした。ある程度英語の勉強はしていましたし、アメリカ大学入試用のTOEFLの点数もクリアしての渡米でしたが、やはり現地の生の英語は別物でした。クラスで教授が何を話しているのかわからず、そして授業のテストに答案できるはずもなく、授業後に涙を浮かべて「I can`t understand your English」と中々に失礼な意見をぶつけ、もがいていました。その一方で、ピアノ演奏のクラスでは演奏すると評価をもらえ、言葉が通じなくても「ミヤビはピアノができる人」「ミヤビと演奏を組みたい」「ミヤビの伴奏は間違いない」などとコミュニケーションが取れることに、言語を超えた『音楽の力』を感じました。
さらに、ニューヨークでは地下鉄に乗っているとギターやサックス、バイオリン、様々な楽器を演奏してTip(投げ銭)を得ると言う人たちをよく目にします。自分達の持てるスキルを積極的に披露する姿には学ぶものは大きかったです。また、ニューヨークのミュージカルでライオンキングを観に脚を運んだ時は、演出者たちの肌の色・人種に感銘を受けました。これまで肌の色・人種にあまり意識を持っていなかったのですが、ミュージカルの出演者たちはサバンナの舞台に合わせて肌の色が茶色の方が大半でした。いろんな視点もありますが、私は肌の色味さえも美しく、芸術になると言うことを実感しました。
帰国後
ニューヨークではさまざまな人種、言語、芸術文化が飛び交い、自身が行動を起こせば尊重され、認めてもらい、思いを伝えることや行動することの大切さを学びました。5年間の中でかけがえのない経験をたくさん積ませてもらいました。
帰国後は、地元の関西で音楽に関わることを吸収すべく、YAMAHA音楽教室の運営側として勤めながら、大阪の音楽教室のピアノ講師として勤め、かたや、神戸の音楽博物館のデモンストレーション演奏者として経験を積むなど、さまざまな視点で音楽と向き合い、その後結婚を機に移り住んだ岐阜で、2016年より自身のピアノ教室を開業しました。後に2歳差の子どもにも恵まれ、子育ての中でも子どもとの関わり方を日々試行錯誤し、子どもにとって、人との繋がりにおいて、何が大切かを感じ、受け取るようになりました。
多くのお子さん、親御さんと関わる中で、音楽で心が癒され、音楽に目標を持って取り組むことで心の成長を促し、音楽が人を繋ぎ人が集まる場を作るなどという経験を通して、音楽の可能性を感じる日々でした。こういったことをさまざまな場でお伝えしていけたらいいな、という思いと、留学の経験も活かし、これからの未来を担うお子さま、音楽の道を目指す後継者へと、広く世界に視野を広げた音楽舎でありたいと思っています。
則竹 雅
3歳よりピアノを始める。
幼少期はコンクールや合唱の伴奏、舞台演奏など、ピアノ演奏の経験を積む。
2011年 渡米、ニューヨーク市立音楽大学にて研鑽を積む。
同年 兵庫県郷の音ホールにてソロデビューを果たす。
2012年 ニューヨーク市立Queensborough Collegeにて奨励賞・奨学金賞を受賞。修了式に代表演奏を務める。
2016年 YAMAHA音楽教室運営、レイドバックミュージックスクールピアノ講師、音楽博物館デモンストレーション演奏等を務める。
2017年 ピアノ教室「Piacevole Studio」を開業。
以後、リトミック研修センター受講、子育て支援員研修受講。
2023年 自身のピアノ演奏収録CD「Little Greeting for Spring」を作成。
同年9月 日加新作ピアノ演奏コンクール2023入賞。
ピアノ演奏、ピアノ講師、リトミック講師、リトミック研修講座、幼児英語講師等。
ピアノ教室の生徒、親子リトミックの生徒、地域のこども園の園児・保護者様等、累計300以上の親子と関わる。
2025年1月「Piavevole株式会社」を設立、「音楽舎Piacevole」音楽教室開講。
同年4月 自身のセカンドアルバム「432Hz Sounds Healing Classic Music」リリース予定。
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